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  • 執筆者の写真JAKEHS EAST

韓国での日本語授業見学報告(啓星高等学校)

(記事執筆=山下誠/神奈川県立大師高等学校)


記録的な暴炎もようやく和らいだ今夏某日、東大門斗山タワー前を出発したタクシーが、渋滞をかいくぐりながら北上する。たかがファッションビルと侮っていたのが意外に遅くなってしまったのだが、時計を見れば、約束時間の前には着きそうだ、と安堵する。ところが、専らカーナビ便りの運転技師氏の悲しさよ、「目的地周辺」から「目的地」にたどり着くのに難儀する始末。最後は、目視で「啓星高校」校門を確認、授業開始直前に駆け込むことに相なった。さて、私たちを待ちわびていたのが日本語教師の권가연さんで、会員諸氏の中にはご記憶の方もおおいはず。昨年全国研修会で実践報告をいただいた方である。9か月ぶりの再会だが、彼女の笑顔はその時の隔たりを忘れさせてくれた。


さて、ことの始まりは、文科省委託の「外国語境域推進事業」の関連で、韓国における第2外国語教育の現状視察をすることになり、私が真っ先に訪問先候補にあげたのが、啓星高校であったのだ。理由は言うまでもない、昨年の熱のこもった発表にいたく感心したからである。ところが、同校では、カリキュラム改編の関係で今年度は第2外国語の授業がないから見学は無理だという。何と運が悪いことだと諦めきれずにいるところに再びメールが入り、あにはからんや、私たちのために特別に授業をするから来いという。“特別に”の意味が分からず、果たして授業視察に値するのだろうか、との疑念を禁じ得ず何回も問い合わせたが、埒が明かない。しかし、「義を見てせざるは勇なきなり」だ、“粋な”計らいに敬意を表して、日程に組み込んだのだった。


挨拶もそこそこに授業の教室に向かう廊下では、手を組んだ女子生徒が行きかうのがいかにも韓国らしい。その一組が、「こにちわー!」と韓国風の日本語で声をかけてくると、今度は別の“カップル“が「はじめましてー」と駆け寄る。どうやら、日本からの来客があると事前に聞かされていたようだが、韓国人らしい直截な歓待に勢い心が弾む。


さて“特別な“授業とは、1年次必修の「読書と討論」の時間を、その日だけ来年度の選択科目ガイダンスというふれ込みで、日本語授業に振り当てるということだった。「読書と討論」は、日本でいう「総合的な学習の時間」にあたるものらしく、彼女が担任クラスの授業を担当している関係から、客人のための”粋な“計らいが可能だったというわけだ。

どこかで聞き覚えがあると思えば、果たして前任鶴見総合の姉妹校である安山文化高と同じチャイムが鳴り、授業が始まる。


男女共学の啓星高だが、1年次は男女別クラスという。その1年9組女子クラスが、今日の舞台だ。7校時目、つまり1日の最後の授業ということで、普通ならガス欠状態でさもありなんというところだが、どうして、生徒の顔が紅潮気味なのは、“特別な”授業だからか。

日本の学校には及びもつかないように完備されたICT機器を권가연さんは使いこなしながら、まず今日の“特別な授業”の経緯の説明から、日本からの客人の紹介、そして本時の内容の提示と、授業はよどみなく進んでいく。氏のティーチャートークは、その軽やかさと得要領な点で、実に賞賛に値する水準のものなのだが、何より、授業の組み立てがいい。というのも、授業のねらいとゴールが明確に示されるのだ。今回が日本語学習経験のない生徒対象にした授業ゆえの“特別な”配慮なのだろうが、その効用の普遍性は言うまでもないだろう。

全体のテーマは、「広告で学ぶ日本語」。まずは、入門段階の学習教材として、いかに広告が適当かを要領よく説く。曰く、「短いこと、そして同じ言葉が連呼されるので、負担なく、覚えられること」。そして目標は、①日本の広告の中のセリフの意味がわかる、②広告の中のセリフをついて言うことができる、③日本語の形容詞を使って広告をつくることができる、ありがとうございます。となっていて、「わかる」から「できる」にステップアップしていく構造になっている。


取り上げた広告は、「きよら(商品名)の卵」。内容は、とあるキャラクターが登場し、布団に見立てた「きよら(卵の商品名」の卵焼きをかけて欲しがるのだが、卵を切らしてるので卵焼き(布団)ができずに、思わず「さむーい!」と叫んで終わるというものだ。まず、動画(日本語と韓国語字幕つき)を見せ、意味の解説を補足しながら、따라 읽기をしていく。生徒たちの、耳から聞いた音を再生する力はなかなかのものだ。最後の「寒―い」の部分は、次につながる形容詞の学習なので、重点をおいて解説と音読練習が行われる。


さて、ここからが、その「形容詞を活用して広告をつくる」のワークである。生徒たちには、前段の設定(原作は、卵を切らしたので卵焼き=ふとんができない)を改作し、それに相応しい日本語の形容詞をスマホで調べて発表するというミッションが与えられる。ここまでで、50分授業のうち半分程が過ぎている。


後から気が付けば、この教室の机はすべて3人掛けになっていて、グループワーク専用の教室ということか。果たして生徒たちは同席した3人ずつで、慣れた様子でワークに入っていく。未知の学びに生徒の目は輝き、活動に取り組む姿勢はどのグループも活発である。我々の教室では、「こんなことやってられるか!」と言わんばかりに不貞腐れた向きが、少なからずいようものだが、さにあらずだ。とはいえ、全員が初めての日本語授業だ。果たしてゴールにたどりつけるのか・・・と思う間もなく、終了5分少々前に、グループごとに発表するようにとの指示が出る。時間の関係で、手が上がった3グループが前に立った。そして、生徒①「一生のお願いです」生徒②「きよらでつくったお布団を私にかけてください!」、生徒③「寒―い!」などと言いながらその様子を演じていく。聴き手の生徒は、肝心の形容詞が初聴の日本語なので、当然ながらに意味はわからないのだが、演技を見てそれをあてるというしかけだ。自分たちでストーリーを創作し、それに会う韓国語の形容詞をスマホで日本語にする・・・学習段階と所与の授業時間に比してミッションが過大では?とも思われたが、果たして快いテンポ感で授業は進行し、권가연さんが「来年、日本語を選択したら、こんな風に学んでいきますよ」と締めたところで終了となった。所期の三つの目標は滞ることなく達成されたのだった。


後に聞いた話では、「科目選択で迷っていたのだが、やはり日本語を取りたい」という生徒が、一人二人ではなかったというが、その事実が何よりの証明だ。


総じて、권가연さんの授業の特徴は、何より明らかな目標と確かな手だてにより構成されている点にある。反対に、目標が不明で手立てが不確かな授業が、どういうものかを考えてみたときに、それは当然の在り様に思われるが、実際は、「言うは易く、行うは難し」だ。一時間ごと、日ごとに氏が積み重ねた努力が、見事に結晶した“特別な”授業だった。初めて日本語の授業に触れた生徒にとって、そして日本から訪れた私たちにとっても。


蛇足ながら、授業の直後に行われた1年9組の終礼も参観した。日本でいう帰りのHRだ。やはり学級担任のなせる業か、授業の時とは一味違ってキリっとした권가연さんの立ち居振る舞いに、あらためて教師としての在り様を学ぶ思いであった。感謝の夕餉には、韓日研元会長の여선구さんも同席し、すでに2年目に入った我らが交わりの意義を確認した。今年の発表も楽しみだ。

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