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  • 執筆者の写真JAKEHS EAST

高校で第2外国語を学ぶこと -ほぼ30年ぶりの卒業生との出会い-

更新日:2019年9月17日

(記事執筆=武井一/都立日比谷高校他)

 先日1991年に教えていたM高校の卒業生3人と会った。全員同じ学年。うち2人は直接社会科を教え、1人は初対面。全員がフランス語を第2外国語でとっていて、彼らの希望もあって、フランス語の先生も招いての一夜だった。そのフランス語の先生とは、たまたまS高校で一緒に仕事をしている。


 すでに40代前半。3人ともフランスに関係したことを続けている。中にはそのまま外大に進学して、公の立場でフランスに関わっている人もいる。


 講座をとった理由はそれぞれ違う。部活の先輩が、第2外国語のある土曜日になると辞書を持って「休む」という。それがカッコ良くて自分も第2外国語をとることにした。英語以外で世界的に、どの大陸でも使える言葉はフランス語だから選んだ(当時、M高校の第2外国語は仏独語であった)。また、家族がフランスに関係した仕事をしていた影響とか、友だちに誘われただけという人もいた。3人とも英語は苦手だったということは共通していた。


 友だちに誘われた人は、その当時希望通りの高校に入れず、授業に向き合う気持ちがなかったそうだ。フランス語もほとんど勉強せず、先生から単位が出ないと警告される状態だった。しかし、友人の支えがあったことと、先生から、フランス文学好きだという点を評価してもらって、何とか合格させてもらったと述懐していた。進学した大学でも、フランス語の教授に出会いをきっかけに、それまでの所を退学して、仏文科に再進学。その後フランスに留学した。現在も、仕事ではないものの、フランス語とつかず離れずのことをしている。


 残る一人も、自分の専攻とは関係なく、フランス語に触れ続けていたそうだ。フランス留学もしている。色々な事情で勉強出来ない時期があるために、再開する頃にはそれまでのことを忘れてしまう。だから、いつも初歩からやり直しと笑っていたが、数年前には仏検2級をとったそうだ。さらに父親が亡くなり仕事を受け継いだために、本格的にフランス語を使う生活になったと言っていた。


 3人が異口同音に語っていたのが、フランス語の先生に会ったことがきっかけになったと言うことだった。出会った先生の影響、それがその人たちのその後の人生に影響を与えた訳だが、それを目の前で見ていて身の引き締まる思いがした。

 最後に一つ。3人は「アデュ-(adieu)」で盛り上がっていた。授業の最後に色紙を書いて先生に渡したとのこと。そこにadieuと書いた人がいた。それを見て先生は「adieuは永遠の別れ、ま、皆さんと会うことはないからこれでも良い」と冗談めかしたそうだ。これが3人とも強烈に印象に残っているそうだ。でも、再開できたのだから、あのときのadieuは間違いだったわけだ。解散は23時半。駅で先生とadieuでない言葉「さよなら」と言っていた。その前に「先生、adieuではないですね」と付け加えながら。


 

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