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  • 執筆者の写真JAKEHS EAST

最後の授業、「ああ、これこそ教員の醍醐味!」

(記事執筆=鄭賢熙/神奈川県立緑園高校他県立高校 )※한국어기사는 여기를 클릭

今日は、私にとってとても特別な日だ。


おそらくあれは11年前の今頃だ。大人ではなく学生を教えてみたいという気持ちであれこれインターネットで情報収集をしていたところ、神奈川県教育委員会のホームページにたどりついた。記憶があやふやだが、「非常勤講師募集」というキーワードを見て、履歴書と韓国の教員免許のコピーを持参して横浜にある教育委員会を尋ねた。


それから間もなくして、教育委員会から一通の電話がかかってきた。緑園総合高校(現、緑園高校)で韓国語講師を探しているが行ってみないかとのことだった。一寸の迷いもなく返事をし、学校の担当者と連絡を取り合い、面接を経て、ついに夢に見た高校での授業を始めることになった。


「ハングル入門」という名で始まった授業。最初の年は4人、翌年は約20人の2クラス、そして、その翌年から今年度まで毎年約20人の3クラスで運営してきた。毎年、受講希望者が溢れ、自分としては人気の講座だと思っていたが、その授業が今年度で終わりを迎えた。


理由としては、要するに、2年前、総合高校から一般高校に変わったことによりカリキュラムに変動が生じ、英語以外の外国語の授業はすべてなくなることになったのだ。私のせいではないが、授業がなくなるということ自体が非常に残念で、今年の授業は他の年より特別に感じた。


16人、21人、34人の3年生だけの3クラスの授業が今日で幕を下ろした。最後2回の授業は1年間の授業の振り返り時間と韓国文化体験の一環として韓服を着てみる時間を設けた。


1人5枚ずつ付箋を配り、最初の授業で書いた各自の目標を思い出し、その目標がどのくらい達成できたか、1年間の授業を通して自分ができるようになったことは何か、また韓国語の授業を通して得たものや、記憶に残ることなどを1枚に1つずつ書くようにした。思ったよりみんな真剣に取り組んで書くのを見てどれだけ感動したことか。


とうとう発表の時間になった。もともと発表する機会を多く設けた授業であったため、みんなためらわず発表をしていった。その中でも最も早く挙手して発表してくれたある男子生徒の話にたいへん感動した。


彼は、前期の評点が1だったので後期もまた1になってしまったら卒業自体が難しい状況だった。後期に入ってもしばらくは休みが何回か続き心配していたが、ある日をきっかけに授業に積極的に参加してくれるようになった。そのうえ、1限の時は誰よりも早く来て「先生、先生」と声をかけながら自分の話をしてくれた。その日は数字を覚えて電話番号や誕生日などを伝え合う授業を行った日だった。たしか彼は誰よりも数字を覚えるのが早かったので、とてもびっくりした。


そんな彼が本日の最後の授業で、「もっと早くから真面目にやっておけばよかった」、「振り返ると寂しい気持ちでいっぱい」と言ってくれたのはとても感動的だった。


残念ながら今もハングルの読み書きはできないが、自己紹介も「話してみよう。韓国語」の台本も読み仮名をつけながら覚えて発表したことで、後期の評定は3に上がった。そんな彼が発した言葉だったので、誇らしくも感じた。


彼だけではなかった。前期、度々体調を崩し、休むことが多く表情も暗かったもう1人の男子生徒も、後期に入ってからは欠席率ゼロばかりか、遅刻さえせずに頑張って授業に参加してくれた。最近、彼は街中でハングルを見かける度に、読もうとする自分がいてそれが一番大きい変化だと言っていた。「韓国語の授業を通して新しい友だちもでき、人間関係が更に広くなった」、「専門学校や大学に入って選択授業で韓国語を受けてみたい」、また発表の最後にちらっと周りの様子を見て、「先生、今までありがとうございました。」と言ってくれた生徒。その隣で少し涙を見せてくれた生徒など、私のほうが彼らの話を聞いていて目頭が熱くなってきた。


このように振り返りの時間の後、私からの話が終わる頃、チャイムが鳴り、授業は終わりを告げた。教室を出る彼ら一人一人の肩を抱き寄せた瞬間、10年間の思い出が走馬灯のように過ぎ去った。

名残惜しさを感じながら教室を出ると、昨年私の授業を受けていた女子生徒2人が花束と手紙を持って、私が出てくるのを待っていたのだ。全く予想をしていなかったので、驚き半分、嬉しさ半分の中、花束と手紙を受け取った。二人とも抱擁を交わし、職員室に戻ってきた。


席に着くや否や手紙を開けてみたら、一通は韓国語、もう一通は日本語で丁寧に書いてあった。その時の感動をどのような言葉で表現すればいいのか分からないが、「こんな気持ちを味わうことができるなんて先生で本当に良かった。」と思った。


このように縁園での10年が過ぎ去ろうとしていて、ただただ名残惜しい気持ちでいっぱいだ。4月からもまた新しい環境でこのような感動を味わい続けたいと願うばかりだ。


※この記事は韓国語版でもご覧いただけます。韓国語版はこちら

 

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