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  • 執筆者の写真JAKEHS EAST

20年の時を思う

更新日:2019年3月10日

(記事執筆=山下誠/神奈川県立大師高等学校)


去る2月23日に参加した、20周年コリ文の集いについてご報告します。


コリ文とは、正式名称コリ(ア)文(化)語学堂。横浜駅から歩5分距離にあり、今を時めくテレビハングル講座名講師の金順玉さんが主宰する韓国語の学院です。表題のごとくに今年で創立20年になるとのことで、旧知の友人としてお祝いに駆け付けた次第です。


さて集いの中身と言えば、スキットありの歌ありの、はたまたクイズからマジックまで、各クラスごとに、個性あふれる出し物が満載で、1時過ぎから5時前まで、시간이 가는 줄도 모르고 楽しめる優れものでした。


中でも、現在仁川観光大使として活躍中の“よすみまり”さんの体験談には、身も心もくぎ付けになってしまいました。たまたま家族旅行先として選ばれた韓国に足を踏み入れたのが中学1年生でしたが、初印象と言えば、街のそちこちで人々が大きな声で怒ったように話すのがとても怖かったとか。韓国との出会いは決してハッピーなものではなかったようです。


その後、いくつかの出会いと別れを経て、彼女は自らに区切りをつけるべく、“人生最後の”韓国旅行に旅立つのですが、そこで彼女を待ち受けていたのが、まさに人生大逆転でした。それは、サバイバルのために覚えたガイドブックの旅行会話のフレーズが、市場のアジュンマの耳に止まり、「한국말 잘하시네요!한국사람이에요?」と返ってきた瞬間に起こったと言います。「後から考えれば“お世辞”だった」と振り返るアジュンマの一言は、しかし傷心の彼女には天の声でした。


そして帰国後にコリ文の門をたたき、猛然と韓国語を学び始めたのです。一方、よすみさんは、やはりその同じ旅の途上で遭遇した漢方院で「地獄の声」を聞くことになります。曰く「あなたの脳と体は数十歳老化している!」ところが、藁をもつかむ思いで試したよもぎ蒸しで、身体がすっかり変わってしまうという衝撃体験をし、心に誓います。「このよもぎ蒸しを自分でやる!」。思い立ったことはやらずには済ませないという彼女は、産地の江華島に通いつめ地元農家を説得、ついに門外不出のよもぎを日本に持ち出す許可を取り付けたとか・・・


よすみさんは、その後も遭遇するチャンスを次々にモノにして、現在ではよもぎ蒸しサロンを経営する傍ら、仁川観光大使として日韓を往復し、バラエティ番組にも出演するという、縦横無尽な日々を送っているとのこと・・・「“石橋をたたいて渡る”どころか“石橋をたたき壊して渡れなくしてしまう”ほどに臆病でネガティブだった自分が、ここまで変わったのは韓国との出会いのおかげ」と、さわやかに振り返るよすみさんですが、聞いているこちらまでその気にさせてしまうのだから、「うーん、お主、できるな!」まったく、只者ではありませんね(笑)。


その流転の人生談を聞きながら、やはり韓国語との突然の出会いをきっかけにまったく別の人生を歩むことになった自分の来し方を重ね合わせたりもしましたが、まあそれはさておき、我々が携わる韓国語(外国語)教育とは、生徒たちにそんな豊かな出会いのチャンスを提供するところに意味があるのかなと、あらためて思った次第です。

行事の最後は、学院長の金順玉さんによる記念表彰。表彰台にあがるのは、永年在籍の講師、そして受講生の面々です。受講生の中には、何と、開校以来20年継続して通っているという強者もいらっしゃるんです。いやいや、コリ文語学堂の、韓国語学習の魅力躍如たり!ですねえ。


一番に表彰したいのは順玉さんご自身だったのではないかと思いながら、コリ文を後にした私はいつの間にか、20年前の記憶の世界を歩いていました。20年前?20周年?JAKEHS会員の方ならここで「なあんだ、うちらと一緒じゃん!」となりますよね(笑)。そう、우리는 같은 도래 なんです。実は、「好きやねんハングル」の制作監修でお世話になった長谷川由紀子先生が代表をされている韓国語教育学会が、朝鮮語教育研究会の名で誕生したのも同じ1999年でした。こうなると、単なる偶然ではなさそうですね。


思い起こせば、世紀が20から21に代わろうとするその当時、FIFAワールドカップ日韓共同開催が決まるなか、韓国では日本文化開放、日本でもシュイリや8月のクリスマスなどの韓国映画が一躍注目を浴びていました。言ってみれば、それまで世の中の片隅で目立たなかった韓国に、一気に陽があたったような、あの高揚感をご記憶の方も少なくないのではないでしょうか。そんな追い風の中、私たちは雨後竹筍のように、一斉に活動を始めたのでした。しかしそれは、長い間地下に茎を張り巡らせていたから、つまり長く孤軍奮闘ながら怠ることがなかった教師たちの不断の努力と、それを支える情熱があったからこそ可能だったことを忘れてはいけません。


さて今、20年の来し方を振り返るにつけ、20年後の私たちはいったい今をどう振り返るのだろうか?ということが気になってきます。11月には周年行事を行うことになりますが、これは取も直さず、今後20年の行く方を描く作業に他ならないのではないでしょうか。これまでは、どちらかと言うと時代の空気に背中を押されて進んできたところがありましたが、これからは、社会を見渡しながら私たちが主体的に方向性を決めていくべき時を迎えているようにも思われます。もはや一人韓国語にとどまることなく手を携えて多言語・複言語教育の石橋を造り、生徒・教師ともども堂々と渡っていこうではありませんか。


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