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  • 執筆者の写真JAKEHS EAST

国際交流を通じて得られる国際理解教育

(記事執筆=金正玉/ 松商学園高等学校)


今になってよくよく考えてみると、2000年4月、日本語学校に入学したのが39歳でした。そのときの日本語能力は初級くらいでしたので、そんな人が、高等学校の教員になった時、疑問を持った人が多かったです。(よく聞かれるし、私自身も不思議です)


 この不思議な人が、2007年3月、長野県の教員免許(公民)を取り、長野県松本市にある私立松商学園高等学校に赴任して、2018年12月現在まで行ってきた国際交流活動への思いや経緯を含めた話をしたいと思います。


 2007年「地歴公民科」に常勤として採用され公民を担当しました。1年後、当時の校長からの誘いで、総合学習の中に「韓国事情」1単位の授業を持つようになりました。それから、「ハングル同好会」ができ、「国際理解教育」というものを意識し始めました。


 韓国人だから韓国語を教えるということに有利ということもありましたが、教育現場のしくみも、日本語能力もそんなに高くなかった私にとって、学校教育・生徒とのかかわりは大変な日々でした。しかし、都会ではない点、私立でありながら運動部の生徒が多いことで、明るく純粋な生徒のお陰で、いろいろ不足なところを乗り越えてきました。さらに、国際交流を考えていた校長の提案で、私の故郷、釜山にある高校との国際交流を2008年から始めたことも力になったといえるでしょう。


 今回「国際理解教育」の歩みを簡単に説明すると、生徒たちに「他国を知ろう・国際交流は何だろう」というところから考えるとはじまらないので、週2回の「韓国事情」の授業では、韓国語だけではなく、日本と韓国との違いや共通点などを考えさせ、お互い疑問を持っているものから探る方法で取り組みました。私自身も日本に来て6年くらいしか経ってないので知らない日本について聞いたり、生徒らも韓国について質問をしたりした授業は楽しかったです。また、インターネットを使った、韓国の高校生とのオンライン交流授業は韓国語を勉強したいという生徒のモチベーションも高めたと思います。今はこの授業はなくなりましたが、この授業があって私自身も授業の進め方や教え方において、大きな成長があったと思います。


 「国際理解教育」という考えを持つようになったのは、教員をしながら通っていた大学院の修士研究のテーマにしたからです。釜山にある高校と国際交流をはじめて、2018年が10年目になります。10年間の交流内容はさまざまでありますが、大きく分けると生徒会や教員・PTAなどの訪問団、野球・サッカー部の親善試合、交換ホームステイなどがあります。


 2008年12月「交流・連帯覚書」を交わってから、毎年交流してきたのが10年になります。その間、政治的問題や管理職の移動などで交流ができなくなる危機もありましたが、国際交流に参加した生徒の変化は大きく、積極性やコミュニケーション能力、自ら学ぼうという姿が、大人の心を動かしてここまで続けられたと思います。特にスポーツ交流の時は、互いの学校寮に泊まらせ試合だけではなく、同年代の生徒らの文化交流ができるようにしました。もう一つは、交換ホームステイです。ホスト同士交換になるため1回限りではなく、春行った生徒が、ホストであった相手の生徒を受け入れるため、秋まで言語学習を自ら頑張っている様子が印象的です。


 国際交流をするにあたって、言語の問題を挙げる教員もいました。予算のこともありました。しかし、管理職が積極的に関わることや私立の宣伝効果などを考えると意義ある活動だと認められました。言語問題は事前学習も実施しますが、韓国語だけではなく、第三言語として英語を使うようにもしました。そうすることで交流会が終わり、感想文には多くの生徒が「外国語の重要性を感じた」と書いていました。


 この国際交流に参加した生徒の中には、「ハングル同好会」にも入り、地域の外国人との国際交流にも参加している生徒もいますし、韓国の大学へ留学する子も毎年出ています。また、進路を考えるときにも影響を与えています。


 言語教育(英語中心)の問題は日韓同様で、例え、中・高・大学で約10年間学習しても、うまくいかないと言われています。それは教え方にも問題があるし、学ぶ生徒たちの問題もありますが、韓国語の場合は正規授業でもない、入試でも使わないのに独学で学ぶ生徒を見かけます。これは、言語だけの問題ではないですが、学びたい環境をつくってあげることが大事であると強く感じます。このような若者達のため、先ず教育現場で行うものとは、「参加型授業」を作り、若者自ら感じるようにする教育環境をつくってあげることではないでしょうか。最近英語の授業も参加型を取り組んで、「英語村」に参加するようにもなっています。参加型には、海外に行って言語学習、国際交流をすることもありますが、現在日本国内にも外国人が増え、地域事に交流会も増えています。その場に生徒を参加させる参加型活動もよいのではないでしょうか。

 このように私の経験から考えられるのは、部活動の顧問として、授業の教員として全部を教えなくても、感心・興味を持たせるきっかけをつくってあげれば、生徒は自ら学ぼうと行動すると確信しているところです。


 ここで10年間の取り組みを簡単にあげましたが、ここまで来るのに様々な問題もありました。その中で松商学園が10年間続けられた要因を三つあげてみると、一つ目は担当教員が常勤であること、二つ目は私立高校だから教員の移動がないことが大きかったと考えられます。三つ目は国際交流委員会という教務分掌があることです。その委員会に私が所属していて役割は、企画・両校の連絡担当・生徒引率・通訳・ガイドなどすべてに関わることでした。通訳・ガイドを外部から入れないことで、生徒の経費負担を減らすこともできます。その上、学校間の情報交換などで壁にぶつかったとき、学校内の教員だから相手の学校の状況も理解でき、お互いの問題点をいち早く解決に導くことができたと思います。


 以上のように様々な形で、生徒たちを国際交流に参加させたのは、私自身が外国人でありながら異文化理解や国際交流の大切さを感じたからだと思います。外国人として異文化に戸惑いながら日本の文化や生活を体験し学び、言語の重要性も感じているからです。これからも生徒らが世界に目を向けて活躍して欲しいし、日韓だけではなく、いろんな国と国際交流をして欲しいので、生徒のためなら国際理解教育を達成する手段として国際交流に携わりたいと思っています。

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